TSFに欠かせない「性別役割分業」について語る日記です。
シレンスキーの好みはなんといっても「女性の役割を強要される」ところです。
2000年代初頭のTS小説にはだいたい「女は一般職」「家庭科は女子生徒のみ」「結婚して仕事を辞める」 という要素が入っていました。というのも、その直前までそういう時代だったからでしょう。
とはいっても時代が変わったのは1990年代の話ですから、 「おいおい、年がバレるぞ」などと思いながら読んでいたものです。
そもそも「総合職」「一般職」という区分ができたのも、男女雇用機会均等法ができてからの話です。 会社には「男性」と「女性」という区分しかなく、女性は当然のごとく補助的な業務にしかつかせてもらえなかったのです。
女子生徒が家庭科の授業を受けている間、男子生徒は外で体育の授業だったのです。 男子生徒に家庭科はありません。なぜなら、家事は女性の仕事だったので、男性が学ぶ必要がなかったからです。
いや、私は「男女平等」の時代に入学して、入社しているのでそんな時代を生きた経験はありません。 私の中の「一般人」はマジかよ!とんでもない時代だな!と叫んでいます。
一方で「TSFを愛する人格」は最高すぎる…と涙しています。
そう、「突き刺さるTSF」をつくるのに、「女性の役割」が多ければ多いほど、 それだけ主人公ちゃんに劣等感を抱かせるネタができるのです。 「自分は女なんだ」と自覚させるネタがいっぱいあるのです。
一応申し上げておきますと、生まれつきの女性が「女性の型」にハメられていく、ハマっていくことに関して、 まったく興味がありません。みんな好きに生きればいいと思います。 もう1つ申し上げておきますと、お金を稼ぐ方がエライという理解不能な風潮を先にやめるべきだと思います。どんだけお金好きなの。
「男女平等」の観点では叩かれがちな昭和時代ですが、 平成生まれの私が、あえて昭和時代の弁明をしたいと思います。
これは、TSF関係なしに当時は「性別役割分業」が必要だったという意味です。
今どき「仕事」と言えば、「オフィスのデスクでパソコンを使って何かやる」というイメージでしょう。 多くの人が頭脳労働に就いていて、営業でもクルマや電車を使って移動ができます。 工事や生産も機械化が進んでいて、筋肉がないとできない仕事は減っています。
一方の昭和時代はどうでしょうか。 仕事と言えば「農業」「林業」「鉱業」の時代です。筋肉です。筋肉が物を言います。 林業や鉱業に至っては死ぬ危険すらあり、体力がないとできないものでした。
頭脳労働ができるのは一部のエリートだけで、バブル時代に「3K」と蔑まれた仕事こそ、昭和の「普通の仕事」だったのです。 今では「3K」など言いませんよね。頭脳労働が当たり前になったからです。 逆に言えば、それまでは「3K」が当たり前だったということです。
「仕事」が「筋肉」の時代、戦後もそれは続きました。 オフィスで仕事をするようになっても、営業では「足」を酷使しますし、 工場も完全に機械化されたわけではありません。やはり「筋肉」の出番はありました。
一方で、家庭では「家電」がありませんでした。 食事を作ろうとすれば火起こしから始めなければならず、 洗濯はもみ洗いです。お風呂も火を起こして、適温を維持するために見張っていなければなりませんでした。
仕事しながらなんて、できませんよね。
「筋肉」の仕事と、「時間がかかりまくる」仕事の2つがあったわけです。 「筋肉は男性」「時間は女性」で分けるのって、当然のことだと思うんです。
そして、男性も女性も、それぞれの役割を果たしてくれるパートナーが必須でした。 仕事をしていたら家事ができませんし、家事をしていたら仕事ができません。 専業主婦が必要だったのです。
「男子勝手に入るべからず」という言葉があります。 台所は女性の職場なので、男性は関与してはいけないというルールです。 昭和の男性は冷蔵庫すら触りません。それが女性に払うべき敬意だったのです。
うちの戦前生まれの祖父は、台所には一切関与しません。 自分の食べられないものばかり食卓に並んでも、一切文句を言わずにやせ細っていき、見かねた父親が芋を焼いて命を救いました。 餓死する勢いの敬意っぷりです。
しかし、家電の登場がこれを変えてしまいました。
元は「奥さんを楽にさせてあげたい」からと発明された家電ですが、 それが逆に「専業主婦不要時代」を生み出してしまいました。なんという皮肉。
家事はボタン1つで済みます。食べ物は冷食を買ってきて電子レンジ、 お風呂は自動の湯沸かし器、洗濯も掃除ももはや自分で手を動かす必要はありません。
すると、結婚しなくても生きていけるということになります。 「結婚」は「必須」ではなく「オプション」と化したのです。独身率の上昇も当然の流れですね。
独身が珍しくなくなると、これが物価に影響を及ぼします。
それまでは「男性が家庭を養う」前提の社会で、それだけの利益が出るように商品の価格を設定していました。 しかし時代が変わると、「俺は奥さんいねーから!」とその分を値下げして安売りを開始します。
「安売りをする」ということは、「誰かの給料が減る」ということです。 この連鎖が専業主婦を養えるほど稼げない時代を生み出したのです。
こうなると、「女性が仕事につく」ことが「女性の地位向上」にリンクします。 本来「必須」だった「専業主婦」が不要になってしまったのですから、 「何か役割がほしい」と思うのは当然のことです。
そう、昭和が悪かったのではありません。最近、役割分業が不要になっただけなのです。
世界史で出てくる「ラッダイト運動(機械打ち壊し運動)」をバカにする人は多いです。
「機械が俺たちの仕事を奪う!」と職人が機械を壊しまくる事件があったのですが、 現代人はそれを見て「結局他の仕事が出てきたから、問題なかったよね」と言います。
しかしシレンスキーは、ラッダイト運動は理にかなっていたと思っています。
というのも、手作業や筋肉でなんとかなっていた「仕事」が、 頭脳を必要とするようになったからです。
筋肉は、体質にもよりますが、食べて鍛えればつきます。 しかし、頭脳は簡単に鍛えられるものではありません。 生まれた家庭でどんな教育を受けるか、どんな経験をするかで差はめちゃくちゃ開きます。
あまり人の悪口は言わないようにしていますが、あえて言います。 うちのおばあさんは機械がまるでわかりません。それどころか、「火をつけっぱなしにする危険性」すらわかりません。 「お風呂を換気しないとカビが発生する」こともわかりません。
こういう人に「頭脳労働ができるから、いいじゃないか!」って言えませんよね。 昭和時代は、そういう人でも「仕事」ができたんです。今なら門前払いですよ。
「IT化・AI化で仕事はなくならない」派の人は、エリート層が多いように思います。 彼らは頭脳労働に向いていない人たちに出会ったことがない、温室育ちの人たちなのでしょう。
うちのおばあさんに「火を消す」「換気扇を回す」ことを教えてから言ってください!! 私にはできませんでした!!
さて、頭脳労働は果たして「楽」で「安全」なのでしょうか。
私は「うつ病」を経験していますが、これは頭脳労働だったからこそ起きたことです。 寝ても覚めてもずっと仕事のことを考えていて、不眠症に陥りました。 そこから「視界がチカチカして文字が読めない」「声が雑音に聞こえてなんと言ってるかわからない」状態にまでなりました。
肉体労働だったら、そうはならなかったと思います。
「うつ病」や「過労死」は仕事のレベルが人間の在り方を超えた証拠ではないでしょうか。
女性の役割にしても同じです。 昔は専業主婦という重要な役割があったので、外で仕事なんてしなくてよかったのです。 ですが、今では誰もが「仕事」を強要されます。
本当にこれで「幸せ」になったのでしょうか。
私は「性別役割分業」自体は悪いものではないと思っています。 お互いがお互いに敬意を払うことで、問題なく成立するはずです。
ですが、人類はバカなのでそれができませんでした。 そう、なぜか「お金を稼ぐ方がエライ」と思い込んでいるからです。お金大好きすぎか。 「誰のおかげでメシが食えると思ってんだ!炊いてくれるお母さんだよ!!」
その人類のバカさがTSF作品の主人公ちゃんに劣等感を抱かせるのです。
そう、本当は劣等感を抱く必要などないのです。女性の役割は、それ自体敬意を払われるべきものです。 でも人類はバカなので、主人公ちゃんは蔑まれた気分になります。
そんな「バカな人類」をゲーム中に登場させることで、主人公ちゃんのメス堕ちが進行します。 「性別役割分業」と「バカな人類」は、TSF作品に必須なのです。
人権上の問題?ありません!
だって主人公ちゃんは「魔法で性転換した女の子(元男)」なので現実に存在しない上に、 私の作品は筋肉が物を言う「剣の世界」という想像上のものだからです。
ついでに言えば、私の作品では生まれつきの女性はひどい目に遭いません。
そういえばエロゲーでは「登場人物はすべて18歳以上です」とかいう謎の注意書きがあります。 これにならって今後の作品には「ひどい目に遭う女性はすべてTS女性です」って注意書き入れますか。