理系出身の新入社員・翔太は、工場研修中に突然人事部へ呼び出され、営業部庶務課・女子一般職としての“仮配属”を言い渡される。 戸惑いながらも制度上の決定として受け入れた彼は、医務室で目覚めると、すでに女性の身体へと変化していた。 声も体も自分ではない“高坂しおり”としての生活が、強制的に始まろうとしていた。社会人として、そして人間としてのアイデンティティが揺らぎ始める――。
「営業部庶務課、女子一般職としての仮配属が決まったんだ。」
――翔太は耳を疑った。
耳をつんざくような金属音と、機械の唸るような駆動音が工場内に鳴り響いていた。
翔太は分厚い作業手袋の内側で指先を動かしながら、目の前のコンベアを流れる部品に集中していた。
作業服の襟元には汗が滲み、シャツはすでに背中までべったりと濡れている。
慣れない現場仕事。だがこれも、総合職として全体業務を把握するための通過儀礼だと理解していた。
「高坂くん!」
突然、ライン主任の大声が翔太の名を呼んだ。思わず手が止まり、流れていた部品が落ちかける。慌てて受け止めると、主任が近寄ってきた。
「人事部から呼び出しだ。今すぐ更衣して、本館へ向かってくれ。」
何かやらかしたかと、一瞬ひやりとした。だが、主任の顔は険しくも優しくもなく、ただ業務の一部を伝える顔だ。
「……はい、わかりました。」
翔太はヘルメットを脱ぎながら、脳裏にさまざまな可能性が浮かんでいた。早期抜擢?配置転換?いや、まさか研修中止?
更衣室で作業服を脱ぎ、ワイシャツに着替える手がわずかに震える。研修中の他の同期たちは皆、汗と埃にまみれて仕事に打ち込んでいた。
自分だけが抜ける、この違和感。
本館の人事部屋に入ると、冷房の効いた空気と共に、静かな緊張感が漂っていた。中にいたのは人事課長だった。
「高坂翔太くん、だね。ご苦労さま。」
課長は柔らかい笑顔を浮かべたまま、言葉を続けた。
「実は今回、君には“特別な試用措置”を受けてもらいたくてね。営業部庶務課、女子一般職としての仮配属が決まったんだ。」
……女子?一般職?耳を疑った。
「いや、俺は総合職で入社してて……」
「もちろん。あくまで“仮”の措置だよ。これは新しいダイバーシティ推進制度の一環でね、男性社員にも一時的に女性職務を体験してもらうという試みなんだ。 社長肝入りの実験的取り組みさ。3ヶ月だけの話だ」
そう言われても、言葉の意味が理解できない。ただ、“女子”という言葉が頭に引っかかって離れなかった。
「俺は男ですよ?」
「細かい手続きや準備については、これから医務室で説明を受けてもらう。今日中に移行措置に入るからね」
「……移行って……?」
課長はにこやかに言った。
「安心していいよ。これは社内制度に基づいた正式なプロジェクトだ。君の将来にマイナスにはならない。 むしろ、総合職として必要な“共感力”や“現場理解”が身に付く、いい機会だと思ってほしい」
逃げ場はなかった。冷たい汗が背筋を伝って流れ落ちる。
翔太は無言で、差し出された書類に目を通す。そこには「仮配属期間中、業務に必要な身体適正調整を実施することに同意する」とあった。
サインをする手が止まったまま、翔太はゆっくりと天井を見上げた。
さっきまでの工場の喧騒が、やけに懐かしく思えた。
翔太の大学生活は、理系学部にありがちな、地味でまっすぐなものだった。
講義と研究室の往復、時折誘われる飲み会も、彼にとっては社交よりも情報交換の場に過ぎなかった。
誰かと付き合ったこともなく、興味はなかったわけではないが、告白されたこともなければ、自分から動くこともなかった。
「優しそうだけど、そういう目では見られないんだよね」
あるとき、仲の良かった女子にそう言われて、苦笑いで流した自分がいる。
翔太は自分の容姿について、特別イケメンとは思っていなかった。
けれど、平均よりは整っていると自覚していたし、母親にも「もう少し自信を持ちなさい」と言われたこともある。
ただ、他人に踏み込むのが怖かったのだ。
高校時代、クラスで女子に好かれていた友人が陰で「チャラい」と揶揄されていたのを見て、翔太は無意識に「モテること」を忌避していた。
自分は誠実でいたい、誤解されたくない。そう思うあまり、過剰に一歩引いてしまっていたのかもしれない。
大学の研究室では、几帳面な性格と観察力を活かして、実験補助や資料整理を担当することが多かった。
先輩からも「気が利くな」と重宝されたが、内心ではどこか引っかかっていた。
――これは、男らしい評価なんだろうか?
就職活動を迎える頃には、「誰かのサポート役」という自分の立ち位置に、もどかしさを感じていた。
もっと前に出たい、主体的に動きたい、でもどうしても「一歩引いた視点」から抜け出せない自分がいた。
そんな翔太だからこそ、「営業部女子一般職」という“仮配属”は、皮肉にも“今の自分を試される場所”のように思えた。
意識が浮かび上がると同時に、違和感が身体を包んだ。
――重心が違う。
真っ白な天井。見覚えのない照明。軽く冷たいシーツの感触。医務室のような場所だと気づいたのは、少ししてからだった。
だが、それよりも先に、どうしても無視できない違和感があった。
腕を持ち上げる。指先が細く、華奢だ。見慣れた自分の手ではない。
「……なんだ、これ」
声が出た瞬間、血の気が引いた。
高くて柔らかい。明らかに、女の声。
起き上がると、胸元に柔らかい膨らみが揺れた。重力に引かれるような質感。それが何かを理解するのに、時間はかからなかった。
「う、そ……だろ?」
がばりと布団をめくる。白い患者服の下、くびれた腰、細い太もも。喉に手をやれば、喉仏がない。 まるで誰か別人の身体を着せられたような――いや、明確に“女性の身体”になっていた。
パニックになりそうな心を、かろうじて理性が押しとどめる。だが、頭の中では、男としての「自分」が崩れていく音がした。
「お目覚めですか?」
ドアが開き、看護師服の女性が現れた。どこか事務的で落ち着いた口調。
「高坂翔太さん――いえ、しばらくは“高坂しおりさん”というべきでしょうか」
「……なに、それ」
頭が回らない。
「説明は担当の方からあります。ただ、混乱を防ぐためにも、今はなるべく安静に」
女として、ここに寝かされている。
頭では理解しがたい現実に、翔太の心は震えていた。自分の体が、自分のままではない。声も、姿も、名前すら変えられるかもしれない――
そんな恐怖と羞恥のはざまで、彼の“男”としての自我は、音もなく試され始めていた。
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