「……佐原 遼くんですね。合格おめでとうございます。では、女子生徒としての準備を進めてください。」
その言葉が、まるで時を止めたかのように遼の耳に響いた。 何かの冗談かと願ったが、職員の目は真剣だった。 そして机の上には、見慣れない桜色の制服と、そこに添えられた書類。
——女子生徒としての校則遵守について
(……なんだよ、これ……)
動揺を隠せないまま、遼の頭の中に過去の出来事が走馬灯のように蘇る。
「お前、また英語満点かよ。マジでおかしいって。」
「お前だって数学県内5位じゃん、負けてないだろ。」
中学時代、遼は常に上位の成績をキープしていた。特に数学と英語には絶対の自信があった。
ただし——最後の確認や締めくくりを面倒くさがってミスをする癖は、昔から変わらなかった。
そんな遼と唯一対等に渡り合えるのが、理系の天才・白瀬航平だった。
二人は切磋琢磨しながら、名門・桜栄学園の「インテリジェンスコース」を目指すことを目標にしてきた。
——理系・英語・国語に重点を置き、難関大を目指す超進学校。偏差値は70を超える。
だが、事件は入試の出願時に起きた。
(“インテリジェンス”……のつもりだったんだ、俺は……)
気づかぬうちに、遼は「インサイトコース」に志願していたのだ。
よく似た名前、適当な出願確認、そして面倒くささが仇となった。
受験後しばらくして、自宅に届いた合格通知。
遼はろくに確認もせず、喜び勇んで封筒を棚にしまった。
そして数日後——
「なんだこれ……?」
届いた制服は、どう見ても女子用だった。 慌てて書類を確認した遼の目に、はっきりと書かれていた。
——合格先:インサイトコース
桜栄学園に問い合わせた結果は、非情なものだった。
「インサイトコースは女子専用です。ただし、男子であっても女体化すれば入学可能です。」
そして、物語は冒頭のシーンに戻る。
「応募コースを間違われたのですか?しかし、すでに合格されてしまっていますし……。改めてインサイトコースのご説明を差し上げますね。」
(俺……女になるのかよ……)
制服のリボンが、妙に現実味を帯びて目に映った——。
「……あらためて説明しますね。佐原さんが合格されたのは、インサイトコース。本校の女子専用コースです。」
職員室の奥、事務机の向かいに座らされ、遼は重たい空気の中で話を聞いていた。 テーブルに置かれた合格通知には、確かに「インサイトコース」と明記されている。
「インサイトコースでは、“実学”を中心に、思いやりや社会的感受性の育成を目的としています。 また、受講科目は希望に応じて柔軟に選択できます。この自由度の高さが特徴ですね。」
(聞いてない……俺、インテリジェンスコースを……)
「なお、このコースは全寮制で、女子寮での生活が前提となります。」
(女子寮って……それってつまり、やっぱり……)
「寮生活の詳細については、入寮後にあらためて説明があります。生徒保護の観点から男性にはお話しできないことになってまして。」
「ただし、インサイトコースからインテリジェンスコースへ転換する制度は、正式に存在します。 年に4回、インテリジェンスコースと同一内容の試験を受験でき、 6月・9月・12月・3月のいずれかで所定の水準を満たした場合には、元の身体に戻した上で、コースの移籍が可能です。」
(……制度、か。じゃあ、努力次第で……)
希望が見えた気がした。試験で結果を出せば、すべて元に戻せる。
「そしてこちらが……変身体質化処置用の薬剤です。」
小瓶を手渡される。無色透明、ほんのり甘い香り。 異世界のアイテムのようにすら感じられるその液体は、現実に遼の運命を変えようとしていた。
「服用は、入寮の前日までに。もちろん、服用後も、身体を戻す手段は用意されています。ですから、あくまで“入学時の必要条件”とお考えください。」
遼はうなずいた。けれど、胸の奥のざわつきは消えない。
カバンの中には、袋に入った女子制服が収まっている。 (間違いだろ……)そう思って学校に持参したが、確認の結果、それが“自分の制服”であることは揺るがなかった。 だが、今は袋のまま、再び持ち帰るしかない。
——女の子になって、女子寮に入って、女子生徒として生活する。 ——でも、試験に合格すれば、元に戻れる。戻って、やり直せる。
帰り道、遼は時折カバンの中を見つめながら、言いようのない重さに、ただ歩を進めるしかなかった。
「……うそ、だろ……?」
帰りの電車の中、揺れるつり革を握りながら、遼はスマートフォンで「インサイトコース 桜栄学園」と検索していた。 出てきた偏差値サイトの数字に、目を疑う。「偏差値42」自分の模試の成績から、ざっと30は下がる水準だった。 これだけ差があれば、成績表の「おすすめ校」にも表示されない。遼はそのコースの存在すら認識していなかった。
(どこで……間違えた……?)
インサイトとインテリジェンス。似てはいる。けれど、比べ物にならない。こんなにも違うのか、と、何度も目をこすった。
(でももう、他の私立の出願期限は過ぎてる……公立の二次募集も、終了。選択肢は、入学か……浪人か)
ため息が漏れそうになり、遼はカバンの中の制服の袋をぎゅっと握り直す。
(……試験。6月にある。インテリジェンスの試験……それで合格すれば、元に戻ってコース転換できる制度がある)
得意科目は数学と英語。全県模試でもA判定は常だった。
(それなら俺、6月に戻ればいい。たった3ヶ月……それだけなら耐えられる)
希望が、わずかに光を帯びる。そのまま車内で、受け取った入学予定者向けのカリキュラム冊子を開く。
そこには、思っていた以上に実用的で、社会で通用しそうな授業が並んでいた。
(……意外と、悪くないかもしれない)
どれもビジネスや実社会に出てから必要とされるスキルに通じているように感じられた。
「——なるほど。つまり、女の子にならないと入学できないってわけね。」
家に戻るなり、両親に一部始終を説明した。 父は腕を組み、深くうなった。母は合格通知を見て、苦笑いを浮かべる。
「高校浪人なんて選択肢、ないわよ。あなた、大学受験だってあるんだから。」
「でも、男子コースじゃないんだぞ。しかも女子寮だって。」
「6月に戻れるなら、大ごとじゃないわ。変身もののヒーローみたいなものよ、ねえ?」
隣で静かに話を聞いていた弟の想真が、突如声を上げた。
「兄ちゃん、ほんとに女の子になるの!?ヤバ、写真撮——」
「想真!!」
両親に怒鳴られ、想真は口を閉ざす。口を尖らせ、ふてくされた顔。
(4月で中3になるのに、ほんとガキだな……)
でも、少しだけ、笑ってしまった。
そして、数日が経った。
カレンダーを見つめながら、遼はベッドの上で小瓶を取り出す。明日は入寮日。無色の液体は、変わらず甘く静かに光っている。
もう、決めるしかなかった。
「……やるなら、やってやる。」
覚悟とともに、遼は変身体質化処置用の薬剤——言い換えると女体化薬——を一気に飲み干した。
ほんのり甘い味が喉を通り過ぎ、やがて視界がかすみ——
そのまま、眠るように意識が落ちていった。
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