【第二話】女子高生になった俺、次の試験で絶対男に戻る


目次


 

1.女性としての初日

 目を覚ますと、最初に感じたのは妙な違和感だった。枕に触れる髪が、いつもより長い。目をこすると、その指先がやけに細く、白いことに気づく。

「……ん?」

 眠気の残る頭で手のひらをじっと見つめる。爪も丸みを帯びていて、小ぶりだ。身体を起こそうとして――その瞬間、胸に柔らかな重みを感じた。 反射的に目を見開き、震える手でシャツの上からそっと触れてみる。確かな膨らみ。柔らかく、けれど確かにそこに在るもの。

「ああ……そうだ、昨夜俺は、あの薬を飲んで……。」

 毛布を跳ね除け、ベッドを飛び降りる。鏡の前に立つと、そこには――見知らぬ少女が立っていた。 長い黒髪、華奢な肩、丸みを帯びた頬。目元や口元に自分の面影があることが、さらに現実味を与えた。

「これが……俺……?」

 声も高く、丸い。落ち着いた声色で話そうとしても、どうしても女の子のように聞こえる。喉に手をあて、もう一度「おはよう」と呟いてみた。やっぱり、女の子の声だった。

 震える指で腰回りを撫でてみる。骨格が細くなっている。太ももが内向きに丸みを帯びており、腰骨の位置が高い。 体重をかけた足は、自分のものでありながら頼りなく、小さく感じる。
 再び鏡を見る。その姿に、言いようのない戸惑いと羞恥が込み上げてくる。

 中学校で着ていた詰襟の制服と、学校から届いた女子制服の袋を引き寄せ、並べて床に置いた。 男子の制服は、きっちりとした直線的なデザインで、今ではどこか無骨に思える。 女子の制服は、淡い桜色のセーラーカラーにプリーツスカート。袋越しでも、あまりにも布が少ないように見えて、怖気が走った。

「これ、本当に着るのか……?」

 自分の身体には似合うだろうとは思う。でも、それが余計に腹立たしかった。こんな姿になるつもりじゃなかったのに――と。


 階下に降りると、両親と弟が朝食の準備をしていた。リビングのドアを開けた瞬間、三人の動きが止まる。

「……り、遼?」

 母が最初に口を開いた。その声には驚きと、どこか呆然とした響きがあった。
「ほんとに女の子になってる……」と父がぼそりと呟き、椅子に座りなおす。弟の想真は目を輝かせながら近づいてくる。
「わ、すげー……お兄、じゃなくて……お姉ちゃん?」
「見るなよ!」と怒鳴ってしまった。すると母がすかさず想真の頭をはたき、
「からかわないの」と叱る。

 想真の視線はもう同じ高さだった。いや、よく見れば、少し上から見下ろしている。 自分の身長が縮んでいることを、ここでもはっきりと思い知らされる。

「……くそ、ちっちゃくなった……。」

 食卓を囲んでいると、母が「あんた、本当に戻れるの?」と心配そうに尋ねた。

「6月の定期試験で、インテリジェンスコースに転換する予定だから。それまで我慢すれば、元に戻るはずだよ。」

 強がって言い切ったけれど、内心は不安でいっぱいだった。でも、ここで引き下がるわけにはいかない。

 朝食を終えると、母が髪ブラシを差し出してきた。「髪くらいはとかして行きなさい」

「……面倒くさい。」

 そう返しながらも、渋々ブラシを手に取る。初めての長い髪は、思った以上に引っかかりやすく、手間がかかった。

 そのまま、普段着で家を出た。男物のTシャツは少しだぶついており、肩のラインが合わない。 胸が布に押されてちょっと苦しく、歩くたびに揺れて痛む。脚の動きにも違和感があって、スカートこそ履いていないのに、なぜか足を広げて歩くのがためらわれる。

「くっそ……なんで、こうなるんだよ……。」

 足元を見つめながら歩く道は、昨日までと同じなのに、まるで別の世界のようだった。


2.入寮

 桜栄学園の女子寮は、正門から少し離れた静かな場所にあった。 ピンク色の外壁と白い柵が印象的で、まるでリゾート施設のような外観だったが――そこに足を踏み入れた瞬間、遼は早速ため息をつくことになる。

「あなた、何その格好。」

 玄関ホールに入ってすぐ、寮母とおぼしき年配の女性が眉をひそめてこちらを見た。

「え……?」

「その服。男物でしょ?だらしないわね。第一印象って大事なのよ。これ、後で着替えておきなさい。」

 女性は戸棚から取り出したビニール袋を手渡してきた。中身は、卒業生が寄付していった古着らしい。 要するに「レディース服」だ。

「服装なんて俺の勝手だろ……」と口を尖らせるが、寮母は聞き入れず、勝手に話を進める。

「案内はあとで。先にルールの説明をするから、中に入って。」

 遼は重い足取りで寮の中に入る。オートロックのドアが自動で閉まり、カードキーでのみ開く仕組みになっていた。
(こうして、女の子として“守られる”ってことか……)
 その事実に、胸の奥がむず痒くなる。こんな守り方、別に望んでいない。むしろ、自分で戦える男のままでいたかったのに。

 食堂のような場所に案内され、他の入寮者たちと一緒にルール説明を受ける。 華やかな髪色、丸いスカート、しゃべり声の高い集団――そんな中に自分が混ざっているという事実だけで、居心地が悪かった。

「門限は19時。破った回数が3回を超えると、外出は申請制になります。夜間の外出や外泊でのトラブルが多発し、保護者会から強い要望が出ています。」

(……彼氏とお泊まり、か。くだらない)
 遼は唇を噛んだ。そんな不真面目な生活のせいでルールが厳しくなるなんて、納得できなかった。 やっぱりこのコースのレベルは低い――自分のような人間が来る場所じゃない。

「毎朝6時50分と19時ちょうどに、中庭で整列があります。朝は制服着用が義務です。遅れた場合は、ペナルティがつきます。」

(……まるで軍隊みたいじゃないか)
 窮屈さに胸が詰まりそうだった。男の時にはこんな生活、想像もしていなかった。

「それから、食事は当番制です。班で順番に朝食・夕食を作ってもらいます。」

(料理なんて、女のすることじゃ……)
そう思って言いかけて、口を閉じる。
(あ……いや、今の俺、“女”なんだった)
 自分の無意識の思考に、心がズキリと痛む。この身体で、他の女の子と並んで、料理をする? 冗談じゃない――でも、否応なく現実が押し寄せてくる。


 その後、部屋に案内されると、先に中にいた女の子が振り向いてにっこりと微笑んだ。

「やっほー。あたし、綾瀬乃々香っていうの。今日からよろしくね、りおちゃん!」

「……え?りお?」

 名前を呼ばれて、一瞬、誰のことかと思った。しかし、ドア横のネームプレートにはしっかりと書かれていた。

 佐原りお

(……女の名前、つけられてたのかよ……)
現実がまたひとつ、じわりと重くのしかかる。

「ていうか、その服、浮いてるよ? 男子のパジャマみたい。」

 乃々香は笑いながら言った。遼は視線を逸らしながら、しぶしぶ答えた。

「……もともと男だったんだよ。インテリジェンスコースと、インサイトコースを間違えて……。」

「えっ、そうなの? あはっ、じゃあ、りおちゃんって――ドジっ子?」

 唐突にそう言って笑う乃々香に、遼――いや、りおは一瞬、言葉を失った。

「誰がだよ……!」

 思わずむくれて返したものの、その反応すらも“可愛い”と言いたげな視線に、顔がじんわりと熱を帯びてくる。
(何なんだよ……初対面なのに、簡単に境界を越えてくるな)

「でもさ、それだと毎日、寮母さんに怒られるでしょ? 他の子にも変な目で見られるし……手伝うから、着替えよっか。」

「……ひとりでできるよ。」

 そう答えたが、手は動かなかった。 服を脱ぐのが、怖い――。自分の身体が、今や“女”であることを、視線にさらされるたびに痛感するから。

「大丈夫だって。今は女の子同士でしょ?」

 その言葉が、胸の奥に突き刺さった。 そう、今は“同じ側”だ。それはたしかな事実なのに、心が追いつかない。 しかし、現実は待ってくれない。今日から、女の子として、女の子と同室で暮らすのだ。
 羞恥と反発を抱えたまま、りおは古着を手に取った。着替えたくはなかった。でも、このまま浮き続けるのも、それ以上に嫌だった。

 着替え終わったあと、乃々香が笑いながら言った。

「似合ってるじゃん。りおちゃん、やっぱ女の子だよー。」

「うるさい……元に戻るから。6月には、インテリジェンスコースに転換する予定だし。」

「へぇー、すご。あたし勉強苦手だから、他に行くとこなかったんだよね。」

 乃々香は悪びれもせず言った。あっけらかんとした明るさが、りおにはまぶしすぎた。

(……自分は、あんなふうになんてなれない)
心の中でそうつぶやき、りおは自分に言い聞かせる。
(自分は、違うんだ。乃々香とは――この場所にいる子たちとは、違う。俺は、本来は、もっと上の場所にいたはずだ。)
その思いが、わずかばかりのプライドとして、心にしがみついていた。


3.初めての寮生活

 月曜の夕方、配膳係に任命された。初週から料理当番とは、どうにも運が悪い。
 班は六人。誰もが手際よく、まるで慣れた職人のように包丁を振るい、鍋をかき混ぜている。一方、りおはというと、包丁の握り方すらおぼつかず、立ち尽くしていた。

「ねえ、何していいか分かんないの?」

 乃々香が声をかけてくる。

「……料理なんてやったことないし。ていうか、俺――いや、もともと男だったから。」

 つい、言い訳のように口にしてしまう。さらに言葉を重ねた。

「勉強は得意なんだ。インテリジェンスコースに行けるくらいの学力はあるし……。」

 乃々香はにっこり笑った。

「ふーん。でも、今は料理の時間だよ?」

 その一言に、プライドは粉々に砕かれた。しぶしぶまな板の前に立たされ、野菜を刻み始める。

「もっと指先立てて、リズムよくね? そうそう、猫の手って習わなかった?」

 横から指導してくるのは、明らかに勉強が得意ではなさそうな女子たち。りおは内心、強烈な屈辱を覚えながらも、刃の先に集中した。まさか、こんな立場になるなんて。
 完成した夕食は、想像以上に美味しかった。量は少なめだったが、不思議と満足感があった。
(……身体が小さくなったんだな)
 当たり前の事実が、食事という日常で突きつけられる。

 午後七時、中庭に集合の合図がかかる。

 制服姿の女の子たちに囲まれながら整列すると、彼女たちと目線がほとんど変わらないことに気づいた。 男だった頃よりも、確実に目線が低い――それだけで、自分が「こちら側」になってしまった実感が胸を締めつける。

「佐原りお。」

「……はい。」

 返事が小さかったのか、監督役の女性職員に睨まれた。

「声が小さいわね。元気に復唱しなさい!『はい、りおは今日も気持ちよく一日を終えますっ!』」

「えっ……。」

 恥ずかしさに一瞬ためらう。だが、列の中からクスクスと笑い声が上がるのを感じて、言い直した。

「はい……りおは今日も気持ちよく……一日を終えます……。」

「声が小さい!」

「はいっ!りおは今日も気持ちよく一日を終えますっ!」

 その瞬間、また笑い声が湧いた。が、りおはもう、言い返す気力さえなくなっていた。
(真面目に従わないと、もっと目立つ……)
 男の頃とは違う、生き方のルールがある。


4.初めての入浴

 夜。風呂の時間が近づくにつれ、りおの胃のあたりに、じわじわと鉛のような重さが広がっていった。

「りおちゃん、行こ?」

 乃々香が声をかけてくる。手にはバスタオルと着替え。気楽そうに微笑むその姿は、まるで修学旅行の一コマのようだった。

「……今夜は、やめとく。」

 りおはそっけなく断ろうとするが、乃々香は首をかしげて笑う。

「ダーメ。今日の当番だったでしょ? 汗もかいたし、ちゃんと入っとかないと、臭いって思われちゃうよ?」

 その言葉が地味に刺さった。今の自分のにおいが、女の子たちの中で浮いているかもしれないという恐怖。 そう思ってしまった時点で、すでに「女の子の中にいる自分」を否定できなくなっていた。
 逃げ場がない――。
 しぶしぶバスタオルと下着を持って、乃々香と一緒に浴場へ向かう。 脱衣所の扉を開くと、数人の女の子たちがすでに制服を脱ぎ、ブラを外し、さらりとタオルを巻いて笑い合っていた。 空気が明るい。軽やかで、まるで自分だけ色が違うかのように感じる。

(なんで、こんな中に混ざってんだよ、俺……?)

 胸の奥がえぐられるように痛む。ロッカーの影でそっとバスタオルを広げ、下着に手をかける。まだ慣れないホック、柔らかい布の感触が指にまとわりつく。 そして――すべてを脱ぎ捨てた瞬間、自分の体が剥き出しになる。

 つるりとした胸。細く、丸みを帯びた腰。そして、何もない股間。

 無意識に手で隠した。誰も見ていないはずなのに、自分が「女の裸」であるという事実が、全身を焼けつかせるように突き刺さる。 羞恥というより、罪悪感だった。こんな身体になることを、自分が望んだわけじゃない――けれど、3ヶ月はこの身体だ。
 扉の向こうから湯気と笑い声が聞こえる。りおはごくりと唾を飲み込み、震える足で浴場へと足を踏み入れた。

 あちこちに裸の女の子がいた。乳房、腰、お尻――全部、隠さず、まるで自然なもののように。 そんな中で、自分の体も同じような形をしていることに、りおは言い知れない嫌悪を抱いた。
 自分の身体なのに、見慣れない。見慣れようとするたびに、自分が何者なのかわからなくなってくる。

 浴場に入れば、そこはさらに地獄だった。湯気の中で、裸の女子たちがまるで花のように咲いていた。 湯船の中で、洗い場で、くつろぐ姿が自然すぎて、りおだけが場違いに見えた。

「りおちゃん、背中流してあげようか?」

 乃々香の声が背後からかかる。優しげで、親しげで、何気ないひとこと。でも――。

(やめろよ……そんな“女の子の仲間”みたいに接しないでくれ……!)

 震えるようにして、首を横に振る。

「……自分でやる」

「そう? 無理しないでね~。あ、こっちのシャワー空いてるよ!」

 人差し指で“ここ、空いてるよ”と示されると、自分がまるで“かよわい女の子”として誘導されているようで、口の中に苦味が広がる。

(なんなんだよ……。こんなの、俺じゃない。俺は……)

 髪を洗いながら、鏡に映る自分の顔を見て、心の底から思う。頬が丸く、顎は細い。 濡れた長い髪が肩を伝い、石けんの泡が白い胸元を這う。どこからどう見ても、完全に――女だ。

(違う、違う、こんなの間違ってる……)

 洗い場に座り、ボディソープを手に取る。男のときと同じ力で腕をこすった瞬間、ビリッと痛みが走った。

「っ……!」

 肌が柔らかく、薄くなっている。擦る力加減さえ、変えないといけない。 髪も邪魔だった。濡れたロングヘアがまとわりつき、シャンプーは泡立たず、すすぐのも時間がかかる。 手間がかかるのは、女の子だから?何もかもが遠回りで、めんどくさくて、非効率だ。

(……バカじゃねえのか。こんなの、ただの劣化だ)

 自嘲のように笑った。なのに、その「劣化した体」で、これから先を生きていかなくてはならない。それが一番つらかった。
 ふと、隣の洗い場で、同い年くらいの女の子が鏡を見ながら楽しげに髪を洗っていた。 自分とは違う。彼女たちは、女の子であることに慣れていて、誇りすら持っている。

 それなのに、自分は――。

(女である自分を、恥ずかしいって思ってる……。最低だ)

 湯船に入ると、乃々香が手を振って迎えてくれた。気づかれないよう、視線をそらしながら、ぬるりと湯に浸かる。 お湯のなかで身体を抱きしめるようにして、小さく息を吐いた。心臓の音だけが、自分の中でうるさく響いている。

(戻りたい。男に戻りたい。だけど……戻ったとして、こんな記憶を持ったまま、男のふりして生きるなんて、できるのか?)

 そんな考えが頭をよぎった。 お風呂から出ると、背中を丸めるようにしてタオルで体を隠しながら、すぐに脱衣所を後にした。 自分の部屋へ向かうその足取りは、まるで逃げるように、速かった。

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