朝、女子寮の部屋で、りおは乃々香と一緒にメイクを仕上げていた。 明るい蛍光灯の下、慣れた手つきでビューラーを当てながら、ふと夏休みのことを思い出す。
乃々香とひよりと過ごしたお泊まり会。 ベッドに寝転びながら、2人はりおの弟――想真の話題で盛り上がった。
「弟くん、可愛いねー!」
楽しそうに言い合う2人に、わたしは小さく首をかしげた。 男を「可愛い」と表現する感覚は、まだよくわからない。 想真は確かにきれいな顔立ちだけど、わたしにとっては、頼りになる大切な弟だ。
お菓子をつまみながら、話題は自然と智也のことに移った。 あれ以来、アルバイトの退勤後に一緒に夕食をとるのが、ほとんど恒例になっている。 何気なくそう話すと、乃々香もひよりも、顔を見合わせてから一斉に冷やかしてきた。
「えっ、なにそれ、付き合ってるの!?」
「りお、意外と押しに弱いタイプ〜?」
「ち、違うってば……!」
わたしは顔を真っ赤にして、あわてて否定した。 でも、冷やかし半分の2人の笑顔に、なんだか悪い気はしなかった。
想真と買い物に出かけた日のことも思い出す。 駅前の人混みを歩くとき、想真は何も言わずに自然とわたしを内側に誘導してくれた。 車道側を歩く姿が、どこか頼もしかった。
(いつの間に、あんなに……。)
街ではナンパに声をかけられたこともあった。 怖くて言葉が出なかったわたしを、想真はしっかりとかばってくれた。 毅然とした態度で追い払う弟の背中は、以前よりもずっと大きく、たくましく見えた。
女らしくなった自分と、男らしく成長した想真。 夏休みの思い出は、そんな対比を強く胸に刻んでいた。
「りおちゃん、そろそろ点呼だよー」
乃々香に声をかけられ、りおは仕上げたメイクを確認してから立ち上がった。 桃色の制服を着た生徒たちが、ぞろぞろと廊下を進んでいく。 目元にきらりとラメを乗せ、髪をふんわり巻き、指先まで可愛く飾った女子たち。 りおも自然にその中に溶け込み、笑い合いながら並んで歩いた。
ここでは、男たちからの突き刺すような視線を感じることもない。 厳しい管理のもと、規律を守りながら生活しているけれど、それすらも心地よい安心感に繋がっていた。
(……女子寮に入って、よかったな。)
心から、そう思った。わたしは、今、ここにいる。
点呼が終わり、みんなが教室へ向かう中、りおは乃々香と一緒に歩きながら、軽く会話を交わしていた。
「ねえ、今日の放課後、勉強会するんでしょ?」
「うん、もちろん。」
「みんなが集まるの、久しぶりだよね。」
「夏休みが終わったから、やっとこうやってみんなと一緒に勉強できるんだなって。」
ふたりは少し歩きながら、自然と話が進んだ。 他の女子たちも楽しそうにおしゃべりしている。 りおはその輪の中にいて、特別な違和感を感じることなく、馴染んでいた。
そんなとき、ひよりが後ろから駆け寄ってきて、元気よく声をかけてきた。
「りお! 今日も美人だねー!」
「え、ちょっと、そんなこと言われると恥ずかしいよ。」
りおは少し顔を赤らめながら、ひよりの言葉を受け入れた。それでも嬉しそうに微笑んだ。
「でも、ほんと、最近のりお、ますます女の子らしくなったよね。前はちょっと……」
「ちょっと、って?」
りおがひよりをにらむと、ひよりはさっと手を振りながら笑った。
「いやいや、今のりおがすごく可愛いからって意味! ほら、みんなと一緒にいるとき、すっごく素敵な感じだし!」
「ありがと。」
りおは照れながら、そう返すと、ひよりと共に教室へ向かって歩き出した。
──教室の扉を開けると、すでに他の生徒たちが席に着いていた。
また少しずつ話が盛り上がる。
夏休みが終わり、少しずつ学校生活が元通りに戻っていくのが、なんだか心地よかった。
りおはふと、先ほどのことを思い出す。 「女の子らしくなった」――その言葉が頭の中で繰り返されていた。 どこか遠い昔のように感じる自分を見返すと、あの日の自分が少しだけ懐かしく思えてきた。
それでも、今の自分に、少しずつ満足している。 今、この場所で、みんなと一緒に過ごすことができる幸せを感じていた。
9月の定期試験。りおは、再試験の会場にいた。
――これが、今の自分の現実だ。
振り返れば、授業の内容が次第に理解できなくなってきたことを思い出す。 小テストの点数も、最近は平均点を少し下回る。そう、「インサイトコース」の平均以下だ。
りおの、中学時代の模試の偏差値は70以上。それを30も下回る「インサイトコース」では、当初こそ成績上位にいた。 次第にひよりや乃々香に追い越され、気づけば「インサイトコース」の普通の生徒に落ち着いていた。
(頑張っても、やっぱりこうなるんだな)
心の中で、かすかなため息をつく。 インテリジェンスコースに転換し、男に戻る。今となってはそれが遠い目標に思える。
勉強会では、乃々香とひよりに教えてもらう立場になり、あの二人にはもう追いつけないことを痛感していた。 ひよりはあっという間に理解し、乃々香はどんな内容も理解してしっかりと説明してくれる。どちらも、りおよりずっと頭が良い。
りおは中学時代、長時間勉強による暗記で成績上位をキープしていた。しかし、それが通用するのは中学までの話だった。 高校では、理解を伴わない暗記では力不足を感じることが増えてきた。
でも、両親や教師からはコース転換の圧力をかけられることもなければ、大学進学を強く勧められることもなかった。 それどころか、りお自身がどんな道を選んでも構わない、という自由を感じている。 そして、必死に悲壮感を感じることなく、選択肢が広がっていることを実感している自分がいる。
定期試験の日がやってきた。りおはインテリジェンスコースを受けることは諦め、インサイトコースの試験を受けた。 それでも、いくつかの教科で赤点を取ることになり、再試験を受けることが決まった。
(もし、インテリジェンスコースにいたら、きっと落ちこぼれていただろう。でも、インサイトコースなら、赤点を取るのも普通だ)
そう考えると、少しだけほっとする気持ちが湧いてきた。
――ここが、自分の居場所なんだろうな。
その時、会場の入り口から足音が近づいてきた。 顔を上げると、乃々香が現れた。 乃々香は、にこやかにりおに手を振りながら、試験会場に入ってきた。
「おはよ、りお!」
「おはよう、乃々香。」
乃々香は、軽く肩をすくめると、楽しげに話し始めた。
「実はね、インテリジェンスコースの試験受けたんだけど……、ダメだった!」
その言葉に、りおは少し驚くが、乃々香はあっけらかんとした表情で続けた。
「でもね! まだまだあきらめないよ! 今度は12月の試験で絶対挑戦して、今度こそ合格してみせるから!」
その明るさと、前向きな気持ちに、りおは改めてその強さに感心する。
その時、りおはふとひよりのことを思い出した。
ひよりの姿は、まだ見当たらない。おそらく、ひよりは無事に試験に合格したのだろう。
ひよりの頭の良さは、りおが言うまでもなく圧倒的だ。
乃々香もきっと、次の試験でインテリジェンスコースに合格するのだろう。
「すごいな、乃々香。そんなにポジティブでいられるなんて。」
りおは、心の中でひとしきり感心し、そして少し自分の立ち位置を感じる。
「だって、失敗してもまた次があるって思えば、気持ちが楽になるんだもん!」
乃々香は、にこっと笑って、再びりおに目を向ける。その瞳には、まっすぐな力強さが宿っている。
「りおも、焦らず頑張ればいいよ! それに、今こうしている自分がいるってことに、意味があるんだよ。」
りおはその言葉に少し考え込み、心の中で決意を新たにする。
――やっぱり、無理しないで、自分のペースで頑張ろう。そんなふうに、少しずつ前を向いていけばいい。
「ありがとう、乃々香。」
りおは、少し照れくさいけれども、感謝の気持ちを込めて言葉を返す。 乃々香は、再び元気に笑って、試験の準備に取り掛かる。 その姿に、りおは心の中で強く感じるのだった――自分も、焦らず前に進んでいこう、と。
ライフプラン設計の授業。
りおは、机の上に広げられたノートをじっと見つめる。 前回作成したライフプランをチェックしてみると、今の考えとあまり変わらないことに気がついた。
「大学」が「短期大学」に変わった以外、基本的な流れは大きく変わらない。しかし、その違いは確かに感じていた。 以前は乃々香の書き写しや、周りの期待に流されていた自分だったが、今は違う。
りおは、かつての自分が書いたライフプランに目を通しながら、静かな気持ちでその内容を反芻していた。 自分がどんな人生を歩むのか、それをしっかり考えた結果として今、こうして自分の手で計画を立てようとしていることに、少しだけ誇りを感じる。
「やっぱり、私は女として人生を歩んでいきたい。」
その思いが心の中に強く芽生えたのは、ここ数ヶ月の経験が大きかったからだ。 女子寮での生活、アルバイトでの交流、そして智也との関係――それらすべてが、自分を少しずつ変えていった。 あの日、無理に男としての自分を強く押し込めていたことに、何の意味があったのかと今は思う。女としての自分にもっと素直になっていいのだ、と。
りおはペンを取り、心を込めてライフプランを書き直し始めた。
17歳 | アルバイトで出会った先輩と交際開始。 「アルバイトを通じて、他の人と深く関わり、成長したい。」 |
18歳 | 高校卒業。公立の短期大学に進学。 「短大での生活を楽しむ。専門知識を学びながら、新しい友達を作りたい。」 |
20歳 | 短大卒業後、企業に就職。 「自分に合った仕事を見つけ、しっかりとキャリアを築く。」 |
21歳 | 相手はアルバイトで出会った彼。 「信頼できる人と、人生を共に歩んでいきたい。」 |
23歳 | 出産。育休をとる。 「子どもと過ごす時間を大切にしたい。」 |
28歳 | 子どもが幼稚園に入園。短時間勤務で復職。 「家庭と仕事のバランスを取りながら、キャリアも大事にしたい。」 |
37歳 | フリーランス転向。自宅で働きながら子育て。 「自分のペースで仕事をしながら、家族との時間も大切にしたい。」 |
60歳 | 地方に移住し、趣味とともに穏やかな老後。 「趣味や家族との時間を大切にしながら、ゆったりと過ごしたい。」 |
りおは、ライフプランを見返すと、少しばかりの達成感と共に、心が軽くなるのを感じた。 高校を卒業し、短大に進学すること。それは、以前の自分では考えもしなかった未来だった。 でも今、こうして自分で描いた計画に自信を持っている。女として、人生をしっかりと歩みたい。その道のりに少しの迷いもない。
そして、りおは自分を見つめ直したとき、確信を持って心の中で思った。
――これが私の人生。どんな形であれ、歩んでいくしかない。
その瞬間、りおは微笑んだ。
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