【第四話】女子高生になった俺、次の試験で絶対男に戻る


目次


 

1.授業初日-数学

 選択したのは「数学Ⅰ」。朝のホームルームが終わり、教室を移動して指定された席に着くと、隣には昨日、科目選択の説明のときにも隣に座っていた女の子がいた。

「あっ、また隣だね」と彼女が明るく笑う。

「……うん、偶然だね。」

 少し間を置いて、彼女は小さく手を挙げるようにして言った。

「そういえば、ちゃんと自己紹介してなかったね。八重樫ひよりっていいます。よろしくね。」

「……佐原……りお」

「りおちゃん、ね。うん、かわいい名前。」

 名前を褒められたことに、思わず目をそらす。まさか「遼」と言いかけたなんて気づかれていないだろうか。

 ひよりは続けた。「女子寮って、意外と厳しくてびっくりしたよね。消灯早いし、朝も点呼あるし。あと、科目の選択肢、すごく多くて……迷わなかった?」

「……うん。ちょっとだけ。」
(本当はあまり深く考えずに選んだ……)

 ひよりの口調は柔らかくて、話し方にも圧がない。 中学時代、女子とこうして並んで雑談する機会なんてほとんどなかったりおにとって、こういう他愛もない会話は妙に新鮮だった。
(意味のない会話だな……)
 そう思いながらも、口元は緩んでしまっていた。

 チャイムが鳴り、授業が始まる。内容は、「中学数学の復習」。 因数分解、連立方程式、グラフの読み取り……。すべて中学で習ったことばかりで、黒板を見ても目新しさはなかった。
(高校の授業って、こんなもんか)
 ゆるんだ気が引き締まることはなく、むしろ退屈に拍車をかけた。教室を見渡せば、半数ほどの生徒が早くも机に突っ伏して眠っていた。
(やっぱり、レベルが低いな)
 内心で見下す一方、自分もだんだん眠気に襲われていく。

 ふと、隣のひよりに目を向けると、彼女はノートとにらめっこして頭を抱えていた。鉛筆を持つ手が止まり、困ったようにページを見つめている。

「……そこ、違ってるよ」と、つい口をつく。

「えっ、どこが?」とひよりが目を丸くする。

 りおはため息をついて、ノートを指さした。「符号、逆になってる。x²-5x+6は、(x-2)(x-3)」

「あっ……ほんとだ! ありがと。助かったー……。」

 ほっとしたように笑うひより。その笑顔は、なんだかとてもまぶしかった。
(……教えて感謝されるのって、悪くないかも)
 そう思ってしまった自分に、少し驚くりおだった。


2.放課後

 教科書を鞄にしまいながら、りおは内心で今日一日の授業を振り返っていた。
(数学Ⅰも化学Ⅰも英語Rも……結局、中学校の復習ばかりだった)
 内容はすでに知っていることばかりで、どの授業も正直、退屈だった。ノートを取る手も途中で止まり、隣でうとうとしていた生徒たちを見ては、(この学校、大丈夫か?)と小さくため息をつく。
 けれど、退屈すぎたせいか、ふとした拍子に自分もうっかり眠くなってしまったのは、ちょっと悔しかった。

「りおちゃん、今日も一緒に帰っていい?」

 帰り支度を終えたひよりが声をかけてきた。りおは軽く頷く。

「うん。……っていうか、ずっと一緒だったけどね。」

 ふたりで女子寮へ向かって歩いていると、前から乃々香が現れた。ひよりがすぐに反応する。

「あっ、あの子……りおちゃんと同室の、乃々香ちゃん、で合ってるよね?すっごく可愛いよね~!」
「え? うん……まぁ。」
「なんかさ、髪とかサラサラで……ああいう雰囲気、あこがれちゃう。」

 乃々香もにこやかに挨拶してきて、三人で少し立ち話になった。ひよりと乃々香はすぐに打ち解けた様子で、なんだかテンションが近い。
 りおはそんなふたりのやりとりを見ながら、(たしかに見た目は可愛いと思うけど……)と心の中で考える。
 男子中学生だった頃なら、きっともっとドキドキしていたはずだ。でも今は、妙に静かだ。(多分、俺の好みのタイプではないのだろう)と、自身を納得させる。

「まだ料理当番の時間まで余裕あるし、ちょっと食堂でおしゃべりしない?」とひよりが提案し、三人で食堂のテーブルに座ることになった。 ジュースを飲みながら、話題はだんだん将来の話へと移っていく。

「りおちゃんは、卒業後どうしたいの?」
「大学に行くよ。もちろん、国立」

(……帝国大学。俺は、国内最高峰の大学しか考えていない。)

「え、すごい!あたしも進学目指してるんだ。高卒で就職も考えたけど、やっぱりもうちょっと勉強したくてさ。」

 ひよりは自信ありげに言う。

「……意外。」
「でしょ? でも本気だよ。あたし、実はインテリジェンスコースに上がるの目指してるんだ。」

「へえ……じゃあ、もしかして……元男だったりする?」
「……は?」
「いや、その、しっかりしてるっていうか、方向性が……」
「もともと女に決まってるでしょ! 失礼しちゃう!」
「ご、ごめん! なんか落ち着いてるし、頭も良さそうだし……!」

 必死で謝るりおを見て、乃々香が笑いをこらえながら言った。

「ねぇ、りおちゃんって、結構ドジっ子だよね。」
「えっ……なんで?」
「ほら、自分のコース間違えてたって聞いたし。インテリジェンスとインサイト、間違える人初めて見たよ?」
「うっ……あれは間違えただけで……!」
「しかもひよりちゃんのことも元男だと思ってたし~!」
「だから、それは違うって……!」
「うんうん、そういうところ、嫌いじゃないよ?」とひよりが微笑む。

 二人に挟まれ、りおは真っ赤になって俯いた。
(……もう、なんでこんな話題で盛り上がってるんだ)
 でも、ふと気づく。この手の“意味のない”会話――中学時代は苦手だったはずなのに、今は少し楽しい。 どこか、くすぐったいような、くすんだような気持ちを抱えながら、りおは顔を上げた。

「……なんか、変な一日だったな。」

 そんな独り言に、ひよりが笑ってうなずいた。


3.夕食の支度

 エプロンの紐を結びながら、りおはまな板の前に立った。昨日は包丁の握り方すらおぼつかなかったが、今日は少し自信がある。以前から、物覚えは良いほうだった。
(このくらいなら、覚えちゃえば簡単か)
 キャベツを一定のリズムで刻みながら、そんなことを思う。刃がまっすぐ入るたびに、心なしか指先に小さな快感が走る。

「りおちゃん、上手になったねー!」
「うん、昨日と比べたら全然違う。」
「ほんとほんと。昨日の“ザクッ、グシャッ”って感じじゃなくなってるよ。」

 揶揄混じりの褒め言葉に、りおはちょっと照れながらも、にやけてしまう。
(……ま、褒められるのは悪くないか)
その後もてきぱきと動き、味見にも参加したりして、気がつけば班の中でもそこそこ頼られる存在になっていた。

 そして迎えた夕食の時間。

「このスープ、味ちょうどいいね!」
「りおちゃんがやったの? すごいじゃん!」

 そんな声がぽつぽつと聞こえてくる。りおは内心でほくそ笑みながら、スプーンを口に運んだ。 野菜の火の通りも、だしの加減も、自分なりに調整したつもりだった。みんなが口々に褒めてくれるその一言一言が、思いのほか心に響いてくる。

(……あ、なんか、うれしい)

 胸の奥がほんのり熱くなる。こんな気持ちはいつぶりだろう。

(自分が手を動かして、考えて、それがちゃんと評価されたんだ)

 じんわりと込みあげる喜びに、背筋が少しだけしゃんとする。

(男に戻っても、料理くらいは続けてもいいかもな)
(女の子にも……モテたりして)

 そんなことを考えてしまう自分に、わずかに苦笑しつつも、心は満たされていた。


 点呼が終わり、部屋に戻ると、乃々香がベッドの上でタブレットを見ていた。りおも制服を脱ぎながら声をかける。 乃々香はタブレットを伏せてこちらを見る。

「ひよりちゃん、意外と芯が強そうだね。」

「うん。今日も数学で結構悩んでたけど、真面目に取り組もうとしてた。」

 乃々香は少し感心したように、口角を上げる。

「自分のレベルが足りてないって認めて、それでも頑張るって、なかなかできないことだよ。」

 りおはそれにうなずいた。教えていても、ひよりの質問には真剣さがあった。たどたどしくも、一歩ずつ進もうとする姿勢が、どこかいじらしかった。
 すると、ノックの音がした。

「りおちゃーん、いる?」

 ひよりだった。プリントの束を抱えて、少し照れたような笑顔を浮かべている。

「数学、ちょっと教えてもらえないかな……?」
「うん、いいよ。」

 りおは頷きながら、ベッドの上にノートを広げる。乃々香は微笑みながら、さっとカーテンを閉めて気を利かせてくれた。

(なんか……にぎやかになってきたな)

「……ありがとう。りおちゃん、ほんとに頭いいんだね」
「まあ、勉強だけは得意だから」

 自然と口調も強めになる。相手が必死なぶん、自分の余裕が際立つのが心地よかった。
(正直、退屈なくらい簡単だ……でも)
 隣で懸命にノートに書き込むひよりを横目に、りおはふと思う。
(ああやって努力するのって、ちょっと……いいな)

 でも、そう思う自分はあくまで「わかる側」であって、教える側。そこに上下関係のような感覚があることを、本人も自覚していた。

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