【第六話】女子高生になった俺、次の試験で絶対男に戻る


目次


 

1.発覚

 入学から二週間が過ぎた。
 だけど、授業内容は相変わらず中学の復習ばかりで、りおはじりじりとした苛立ちを覚えていた。 一次関数、英単語の暗記、基礎漢字――どれも見慣れたものばかりで、頭に入りきらないというより、入る必要がない。

(……これ、ほんとに高校か?)

 そんな疑問を抱えながら迎えた昼休み。屋上に続く踊り場のベンチに座って、購買のミルクパンをかじる。そこへひよりがやってきた。

「ねえ、りおちゃん。今日の英語、やっぱり簡単だったね。」
「……ああ。てか、いつになったら高校の内容入るんだよ。退屈すぎて、脳が腐りそうなんだけど。」

 口に出してみて、我ながら中学生みたいな愚痴だと思った。だけど、ひよりは困ったように小さく笑って、言った。

「うーん……高校の内容って、インテリジェンスコースではもう始まってるらしいよ? 先生が言ってたの。あたしたちのインサイトコースとは進度が違うんだって。」

「……は?本当に?」

 パンをかじる手が止まった。一瞬、時が止まったように思えた。

「あたしね、コース転換を目指していろんな科目選んでるんだけど……でも、りおちゃん、ほとんど同じ授業にいないから、てっきり進学とか冗談かと思ってた。」

「…………ちょっと待て。俺、進学するつもりでいたんだけど……。え、俺が選んでた科目って、そんなにヤバいのか?」

「入学案内と一緒に入ってたカリキュラムに書いてあったよ。 大学進学するなら、現代文・古文・数学Ⅰ・数学A・英語R・英語G・英語L、それから公民と……」

 ズシンと、胃のあたりに重みがのしかかる。 目の前にある現実が、ぐにゃりと歪んでいくようだった。

「……メモ、したい。忘れそう。」
(ふざけんな……。俺、何のためにここに来たんだよ。6月には男に戻って、インテリジェンスコースに転換して――そのはずだったのに)
 計算が、崩れた。
 だが、それよりももっと苦しかったのは、俺の中の小さなプライドがぐしゃっと潰される音だった。

(俺が間違ったコースで浮かれてる間に、ひよりはちゃんと考えて動いてた。 入学式の日、科目選択を理解してなかったのは俺だけで、ひよりはすでにコース転換を見据えた選択を終えていたってことかよ。)

 何もかもが、恥ずかしかった。 あのとき、「合格した!」ってはしゃいだ自分。何も考えず乃々香の選択を書き写しただけの自分。 「6月までの仮の生活だ」とタカをくくって、勉強のことを後回しにしていた自分。

(まずい。ひよりに、差をつけられてる)

 焦りと劣等感がごちゃまぜになって、脳がぐらぐら揺れるようだった。

「これ、あたしの時間割。必要そうなところ、赤で囲っておいた。」

 ひよりはそう言って、自分の手帳から丁寧にページを開いて見せてくれる。 手帳に書き写す余裕もなく、りおはスマートフォンで急いで写真を撮った。

「ありがと……本当に助かった。」
「りおちゃん、きっと追いつけるよ。応援してるから。」

 その言葉が、なぜか妙に重たかった。 応援なんて、される立場じゃないはずなのに。

(俺のほうが頭いいって、思ってたのに……)

 りおは立ち上がると、図書室の方へと駆け出した。 頭の中では、ひよりの「進学とか冗談かと思ってた」という言葉が何度もリフレインしていた。

(違う。冗談じゃない。俺は……)

 でも、「俺は男に戻るんだから」と叫びたいその言葉すら、今は少し、喉に引っかかった。


2.図書室での再会

「……で、これとこれと……。」

 図書室に到着したりおは、写真に撮ったひよりの時間割をもとに、教科書を探して回った。 進学に必要な科目――現代文・古文・数学Ⅰ・数学A・英語R・英語G・英語L、それから公民、化学。 図書室の壁際の棚を見上げて、慣れないローファーを履いた足で背伸びして、ずしりと重たい本を腕に抱える。

 テーブルに教科書を並べてみた。 1年生の標準範囲――文法、数式、漢文の基礎。ページをめくりながら目を通していくと、思ったより頭に入ってくる。

(……大丈夫。中学のときは、成績良かったし。これなら、独学でも……追いつける)

 一瞬、ホッとした。

 が、その油断も束の間、ふと周囲の空気が気になって顔を上げると―― そこにいたのは、詰襟の制服を着た男子たち、そして紺色のセーラー服を着た女子たち。 どれも、インテリジェンスコースの制服。

(……は?)

 りおはひとり、浮いていた。 ひときわ目立つ桃色の制服――インサイトコースの証。 それを着た女子なんて、この図書室には他に一人もいなかった。

(まずい……これ、場違いだ……)

 できるだけ目立たないように、そっと顔を伏せてページをめくる。だけど、そのときだった。
 ふと、視界の端で気配を感じて、顔を上げた――その瞬間。
 目が合った。

 白瀬 航平。

 詰襟の制服に身を包んだ、インテリジェンスコースの筆頭。中学の頃の俺を知る、数少ない同級生。

「……っ!」

 航平は、不思議そうな顔をしていた。 目を細めて、こちらをじっと見つめる。 それは、確信を持って名を呼ぶでもなく、けれど確実に“何か”を感じ取ろうとしているような、鋭い視線だった。

(まずい……! バレる。バレる!)

 頭の中に警報が鳴り響く。

(なんで今、ここにいるんだよ、航平……!よりにもよって、こんな格好で!こんな情けない状態で、会いたくなかったのに!)

 頬に冷や汗が伝うのがわかる。 心臓がドクドクと耳元で鳴っている。

「っ……!」

 何も言わず、りおは立ち上がって教科書をがさっと抱え込むと、そのまま図書室を飛び出した。
 廊下を走る。ローファーの音がやたらと大きく響いて、さらに胸が締めつけられる。
 教科書の重みが腕に食い込む。
 航平の視線の残像が、いつまでも脳裏に残っていた。

(図書室……もう使えない……。)

 あの視線に、もう一度さらされるのが怖かった。 女の制服を着て、女子の姿で、必死に進学を目指してる「俺」なんて―― 見られたくなかった。

(くそっ……この制服が……!)

 桃色の布地に視線を落とし、心の中で罵った。 インサイトコースなんかに、間違って入らなけりゃ……こんなことにはならなかったのに。
 握った拳に、教科書の角が食い込んで痛い。 だけど、逃げるように図書室を出てしまった自分が、何より情けなかった。


3.小テスト

 4月の終わり、ようやく授業が「中学の復習」から一歩進んだ。 進級祝いみたいなタイミングで、英語と数学の小テストが実施された。
(まぁ、ここまでは中学の復習だったし……100点取れて当たり前、だよな)
 りおは正直、気楽に構えていた。以前ならこの程度、一夜漬けでも問題なかったはずだ。
 ところが。

「80点……?」

 プリントに書かれた数字を見た瞬間、思わず二度見する。解答欄のいくつかが赤でぐるぐるっと丸をつけられている。 間違い――というより、ミス。符号を間違えたり、単語のスペルを一文字飛ばしたり、読み飛ばし……そんな小さなケアレスミスが、合計20点分。

「やっちゃったー、78点~……! くぅぅ、あとちょっとだったのにっ」

 隣で、ひよりが頬をふくらませながら答案を見せてくる。

(……78点?)

 たった2点差だった。確かに、ひよりは悔しがっている。でも――

(いや、待て。インサイトコースの偏差値は42……。そのインサイトの女の子に、追いつかれてる……?)

 ぞわっと、背筋が冷たくなった。勉強で負けるわけがないと思っていた。どこかで、余裕をかましていた自分がいた。

(俺、完全に、退化してる……。)

 インサイトコースに「間違えて」入ったこと。
 科目選択で「ミス」したこと。
 そして今日の小テスト。

 全部、ちょっとした油断と確認不足。それはつまり、ケアレスミス。 りおの得意技だったはずの“勉強”でさえ、ミスを積み重ねている。

――「りおちゃんってドジっ子だよね~」
 乃々香の笑い声が、記憶の奥からよみがえる。

――「わ、答案返ってくる前に、りおちゃんの顔が赤くなってきた~」
 ひよりの茶化した声が、耳にこびりつく。

(……ふざけんな)

(たかが女の子の制服を着たくらいで、ここまで鈍るのかよ……)

 ぐっと、答案を握りしめた。 小テストの紙はくしゃっとしわになったが、どうでもよかった。 このままじゃ、終われない。こんな情けない状態で、戻れるわけがない。 心を入れ替えるしかない――そんな気持ちで、答案をもう一度見つめ直した。

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