【第八話】女子高生になった俺、次の試験で絶対男に戻る


目次


 

1.勉強会

 自然と、乃々香、ひよりと三人で勉強会をすることが増えていた。 以前のりおなら、わざわざ女の子同士の輪に加わるなんて考えられなかったはずだ。 そんな自分の変化に、苦笑いが漏れる。

 場所は、りおと乃々香の部屋。
 図書室に行くのは、やはり怖かった。 航平に――”元の俺”を知るあいつに――出くわすかもしれない、という恐怖心は、まだ消えていない。 だから、ひよりが持っている参考書を頼りに、一緒に問題に取り組むのが定番になっていた。

 彼女の参考書は、隅から隅までびっしりと文字で埋め尽くされていた。 教科書の欄外には小さな字で解説が書き加えられ、間違えた問題には何度も何度も訂正の跡が残っている。 付箋も何枚も貼られ、色とりどりのマーカーで線が引かれていた。
 思わず、りおは目を瞬かせた。

(……こんなに、やってたんだ)

(バイト代が入ったら、自分でも参考書を選びに行こう)

 そんなことを思いながら、問題集に目を落とす。

「うーん……ここ、まだ微妙に自信ないな……」
 ひよりが唸る声に顔を上げると、必死にノートとにらめっこしている姿が目に入った。

(すごいな、ひより)

 入学当初、正直言って、メイクして髪を明るく染めたひよりのことは内心、格下に見ていた。 でも今は、違う。まだ完璧じゃない。けど、確実に力をつけている。 その成長ぶりに、りおは素直に感心して、口に出した。

「ひよりって、実はもともと勉強できたんじゃないの?」

 すると、ひよりは照れたように笑って、ぽつりぽつりと話し始めた。


「中学のときはね……遅刻とか欠席とか、けっこう多くて。 内申もあんまりよくなかったし、『不真面目な生徒』って思われてたんだ。」

「意外だな。今のひより、全然そんなふうに見えないけど。」

「うん。でも――担任の先生が言ってくれたの。 『ひよりはバカじゃない。ただ、人に期待されてこなかっただけだ』って。」

 それを聞いた瞬間、胸に小さな痛みが走った。
 ひよりは続けた。

「それが、すごく嬉しくて。……だったら、証明してやろうって思った。 高校では、ちゃんと大学を目指すって決めたんだ。家ではまだ、あんまり信じてもらえてないけどね。 でも、心の中では――いつか絶対、見返してやるって思ってる。」

 そう言って、ひよりはにかむ。 その表情には、強い芯のようなものが宿っていた。

(……やっぱりすごいよ、ひより)

 りおは、ひよりのことを偏差値だけで測っていた。 「勉強できるか、できないか」。それだけ。でも、本当は違った。 チャンスも、環境も、周囲の期待も――それが違っただけだったんだ。

(――最低だ、俺)

 りおは自分自身を恥じた。 どんなに模試の点がよかろうと、どんなに偏差値が高かろうと、 そんな浅い物差しでしか人を見られなかった自分の、小ささを痛感する。
 そして、思った。

(ひよりは、きっと、インテリジェンスコースに受かる)

 確信だった。 彼女の努力と、目を逸らさない意志を、りおは心から信じられた。


 ーー乃々香視点。

「ひよりって、実はもともと勉強できたんじゃないの?」

 りおの何気ない一言に、私はふっと微笑んだ。 相変わらず一人称は「俺」のままだし、喋り方も男の子っぽい。 だけど、誰よりも真っ直ぐに、ひよりを見て、言葉をかける。

 ひよりは、ほんのりと頬を染めながら、自分の過去を話し始めた。 遅刻や欠席が多かったこと、内申が低かったこと。 だけど、中学の担任に言われたひと言が、今のひよりを支えていること――。

 その間、りおはじっと、ひよりを見つめていた。

(……りおちゃん、優しいな)

 この数ヶ月で、私は気づいていた。 りおちゃんは、すごく不器用だけど、誰かの努力や想いをちゃんと受け止める子だ。 そして、自分にも厳しい。誰かをバカにするためじゃなくて、自分を奮い立たせるために頑張るタイプ。

 それに、少し前までだったら、絶対に女の子の輪に自然にいるなんてできなかっただろうに。 今は、ひよりと笑い合ったり、真剣にアドバイスしたり、当たり前みたいな顔をしてここにいる。

(ほんと、変わったよね……)

 もちろん、きっと本人は気づいてない。 いまだに「俺」とか言ってるし、女の子らしくなってきてることに、きっと戸惑いながら、心の中でいっぱい抵抗してるはずだ。

 でも――それでも、りおは確実に、優しく、柔らかくなっていた。

 私はそんなふたりを眺めながら、静かにノートを閉じた。

(このまま、三人で、一緒に頑張れたらいいな)

 ほんの少しだけ、そんなことを願った。


2.進む授業

 朝、りおは乃々香と並んで鏡に向かっていた。

 メイク道具を手に取り、目元を丁寧に整えていく。 はじめは手探りだったこの作業も、今ではぎこちなさを感じさせない。 隣で微笑む乃々香に合わせるように、自然と指が動く自分に、りおは内心で苦笑した。

 メイクを終えると、いよいよ制服に袖を通す。 今日から、夏服。クローゼットから取り出した桃色のセーラー服は、見た目にも明らかに軽やかだった。

 りおはスカートを整え、そっとセーラー服のリボンに手を伸ばす。 ひんやりとした薄手の布が、素肌に貼りつく。 膨らんだ胸、頼りない肩、白く細い腕のラインが、これまで以上にはっきりと浮かび上がるのがわかった。

(……こんなに、体の線、出るんだな)

 胸元を覆う生地も頼りなく、動くたびにふわりと形を映してしまいそうだった。 ふと、鏡に映った自分を見て、りおはぎこちなく顔を背けた。

(こんなに、大きかったっけ……?)

 薄手のセーラーの下に着た白い下着――。 角度によっては、透けるのではないか。 そんな不安が頭をよぎり、りおは羞恥に身を竦ませた。

(今さらだけど、俺、……完全に女の格好してる)

 男だったころには考えもしなかった感覚に、背筋がぞわぞわとした。

 カレンダーを見やりながら、りおは複雑な心境を抱えた。 月末には、定期試験が待っている。それは、男に戻れる最初のチャンス。

 なのに――。

 乃々香と過ごす日常が、名残惜しく感じる自分に、りおは苦い思いを抱いた。 他愛もないおしゃべりや、一緒に笑った時間。 そのすべてが、まるで宝物のように心に残っていた。

(……試験対策、進めないとな)

 制服のリボンをきゅっと結び直すと、りおはそっと胸の奥で決意を固めた。


 数学の授業は、二次関数。 教室にはどこか、気だるい空気が流れていた。 大半の生徒はすでに集中力を失い、机に伏して眠る者や、ただぼんやりと窓の外を見つめる者ばかりだった。

(……まぁ、仕方ないか)

 りおは、ちらりと隣を見やった。ひよりも、静かにノートを広げている。 3人で勉強会をする中で、二次関数などとっくに通り過ぎた単元だった。 今は、もっと先の応用問題に取り組んでいるほどだ。

 だから、教科書に載っているような基本問題は、拍子抜けするほど簡単に思えた。 練習問題が黒板に書かれると同時に、りおは無意識にペンを走らせた。

「この問題、わかる人?」

 教室は静まり返ったままだった。 挙がる手は、ほとんどない。そんな中、りおとひよりだけが、迷うことなく手を挙げた。 教師は少し目を丸くして、指名する。

「じゃあ、そこの君たち。答えをお願い」

 りおは静かに立ち上がり、淡々と式を展開していった。 ひよりも、重要なポイントを補足するように話し、二人で協力するように正解へと導いた。 教師は満足そうにうなずき、笑顔で言った。

「素晴らしい。君たち二人は、本当によく理解できているね。優秀だよ」

 その言葉に、ひよりは小さな笑みを浮かべ、はにかんだ様子で頷いた。 りおはというと――内心、複雑な感情を押し隠していた。

(インサイトコースで褒められたって……)

 心のどこかで、そう突き放す声が響く。 本当に目指すべき場所は、もっと上にある。 ここで満足してしまったら、きっともう戻れない。

 それでも――。 教師から向けられた評価の言葉に、胸がわずかに高鳴るのを、りおは止められなかった。 勉強して、答えを出して、認められる。そんな当たり前のことが、今は妙に嬉しい。

 隣で小さくガッツポーズをするひよりを見て、りおは小さく息をついた。 そして、自分もまた、少しだけ胸を張った。


 コミュニケーション演習の授業。

 教室には、華やいだ空気が漂っていた。 この授業に集まっているのは、乃々香をはじめとした多数の女子生徒たち。 そして、りおもその中に混じっていた。

 最初こそ違和感があったが、今ではごく自然に、女子生徒たちの列に並んでいる自分がいることに、りおは苦笑する。

「今日は、ビジネスシーンにおける第一印象について学びます。」

 講師の女性は、爽やかな笑みをたたえながらそう告げた。 立ち方、声のトーン、目線――社会人として「信頼される女性」を演出するための要素が次々と語られていく。
 りおは真剣に耳を傾けた。 アルバイトでの接客経験を通して、この授業の内容が決して無駄ではないことを実感していたからだ。

「『~させていただきます』『失礼いたします』……こうした丁寧な言葉遣いが、特に男性上司や取引先には重要です。」

 講師の実演に続き、生徒たちは二人一組になってロールプレイを始めた。 りおも乃々香とペアになり、新人研修の自己紹介、電話応対、クレーム対応――ケーススタディに取り組んでいく。

 自分でも驚くほど、りおの「女性らしい話し方」は自然になっていた。 声を少し高めに、語尾をやわらかく。 目を見て、にこやかに相手の話に耳を傾ける。最初はぎこちなかった動作も、今では身についている。

「失礼いたします、お客様。お話をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 その言葉は、まるで実際に顧客と向き合っているかのように落ち着いていて、丁寧だった。声も柔らかく、少し高めに響く。 その瞬間、少し緊張がほぐれて、りおはついでに軽く頷く。

「ええ、実は先日購入した商品に不具合があって……。」

 乃々香がクレーム内容を説明し始めると、りおはしっかりと目を見て、穏やかな表情で頷きながら聞き続けた。 その姿勢は、まるで本当にサービス業の一線で活躍しているかのようだった。

「ご不便をおかけし、大変申し訳ございません。お客様のお気持ち、よくわかります。」
 りおは、心から謝るような声で言う。その声には、やはりやわらかさと誠意がこもっていた。
「まずは、商品の交換もしくは返金をさせていただきます。どちらがよろしいでしょうか?」
 相手が少し考え込みながらも、「交換で」と答えると、りおはスムーズに対応を進める。

「かしこまりました。すぐに手配いたしますので、少々お待ちいただけますか?」

 言葉のトーンも、非常に穏やかで安心感を与えるものだった。 その後、乃々香が席を外した後、クラスメイトたちが拍手を送ってくれた。

 ビデオで録画された自分の立ち居振る舞いを、フィードバックの時間に見せられたとき――りおは内心、衝撃を受けた。

(……俺、完全に、女だ)

 柔らかな声、穏やかな仕草。 画面に映った自分は、誰が見ても立派な「信頼される女性」だった。 恥ずかしさがこみ上げる一方で、講師やクラスメートたちから「とても良かった」と褒められると、胸の奥がかすかに温まる。

 本来なら、男として、堂々と振る舞いたかった。 だが今、こうして「女の子」として信頼される自分がいる―― その事実を、りおは複雑な気持ちで受け止めていた。

 授業の最後、乃々香が隣でにこにこと笑いながら言った。

「りおちゃん、すっごく自然だったよ。もう、完璧な女の子って感じ。」

 りおは、顔を赤らめながら小さくため息をついた。

(……完璧なんて、なりたくなかったのに)

 それでも、心のどこかで、褒められる嬉しさを否定できない自分がいた。


3.試験前日

 りおは、ひよりと一緒にインテリジェンスコースの試験に申し込んだ。

 ひよりはニヤリと笑いながら、りおをからかう。

「今度は間違いなく、インテリジェンスコースだね。インサイトコースじゃなくて。」

「も、もう言うなよ…恥ずかしいだろ…。」

 もし、入学願書提出の際にひよりがいたならば。 メイクをして、桃色のセーラー服に身を包み、女の子に混ざってはいなかったかもしれない。 りおは、手で顔を隠すようにして笑った。

 最近の勉強会で、ひよりの成長ぶりにりおは驚かされていた。 今ではひよりが問題に取り組む姿は、もはや一流の学生そのものだった。 試験が近づく中、りおは確信を持った。

(これなら、ひよりもきっとインテリジェンスコースに合格するだろう)

 その思いは、どこか自信に満ちていた。ひよりがここまで頑張ってきたからこそ、試験に合格できる力をすでに身につけている。 りおは、二人で一緒にインテリジェンスコースに合格できると信じていた。

「……でも、試験が終わったら、なんか寂しいな。」

 乃々香が突然口を挟んだ。りおはその言葉に少し驚きつつも、心のどこかで同じように感じていた。

「え、寂しいって、どうして?」

 ひよりが問いかけると、乃々香は少し頬を染めて答えた。

「だって、りおとひよりがインテリジェンスコースに行ったら、私だけ取り残されちゃうみたいで、ちょっとさ……。」

 ひよりは、思わず乃々香を慰めるように笑いかけた。

「大丈夫だよ。だって、りおと私は同じ学校だし、放課後や休み時間に一緒に遊べるしさ。」
「うん、そだね。」

 りおもその言葉に心が少し軽くなる。

 でも、心の中では、少しだけ不安がよぎった。 もし男に戻ったら、ひよりや乃々香との関係が終わってしまうのではないか――そんなことを、どうしても考えてしまう。 試験の結果、そして自分の運命。それをすべて受け入れなければならないと思うと、少しだけ胸が重くなる。

 ひよりはその不安を感じ取ったのか、笑いながら言った。

「でもさ、インテリジェンスコースに行っても、男に戻る必要はないんじゃない?」

 りおはその言葉に驚き、思わず首を横に振った。

「いや、違う。男に戻らないと、いろいろなことが元に戻らないから。」

 言葉には少し力を込めて、ひよりを見つめた。 "遼"の成績に期待している両親、自身を兄と慕う弟、かつて肩を並べていた航平。さまざまな人物の顔が思い浮かぶ。

 ひよりはしばらく黙っていたが、やがて少しだけ残念そうに肩をすくめた。

「わかった。でも、少しでもその不安が減るといいね。」

 その言葉を聞いて、りおは心の中で少しだけ希望を持ち、明日の試験に向けて気持ちを引き締めた。

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