【第十話】女子高生になった俺、次の試験で絶対男に戻る


目次


 

1.今の自分

 りおは少し早めにカフェに到着し、準備を始める。少しだけ緊張しながらも、いつものようにしっかり接客しようと心を決めていた。しかし、今日もまた――。

 注文を取った後、りおは足元がわずかに滑ってしまい、手に持っていたメニュー表を床に落としてしまった。 カラン、カランと音を立てて広がるメニュー表。それを見た一部の客たちが少し驚き、そして静かに見守り始める。

 りおは顔を真っ赤にしてあたふたしながら「すみません、すぐに片付けます!」と必死にメニュー表を拾い集め始める。 目線を合わせたくないが、客の視線が痛いような気がして、うまく笑顔を作れない。 心の中では「またやっちゃった…」と自分に対する苛立ちと恥ずかしさが込み上げてくる。

(俺はいつも、ミスしてばっかりだ……)

 しかし、そんなりおの姿を見た常連客が、にっこりと笑って声をかけてくれた。

「大丈夫だよ、君。気にしなくていいさ。」
「うん、こういうときって、逆にほっとするね。」

 その言葉に安心し、りおは少しだけ肩の力を抜くことができた。 必死に拾い終わった後、もう一度背筋を伸ばして、「次は大丈夫です!」と元気よく宣言する。 すると、客たちからは温かい笑い声が漏れ、ひとしきり和やかな空気が流れる。

 他の常連客たちも笑顔でりおに励ましの言葉を投げかける。

「君、すごくがんばってるね。」
「こういう真面目さ、好きだよ。」

 その言葉を受けて、りおは心の中で小さな喜びを感じた。 普段なら恥ずかしくて何も言えない自分だったけれど、今日は少しだけ違った。

(こんな自分でも、受け入れてくれているんだ)

 胸がじんわりと温かくなり、恥ずかしさが少しずつ溶けていくような感覚に包まれた。


 りおはコーヒーを運ぶのに、少し不安定になってしまい、足元を取られそうになる。 その様子を見ていた智也が、すかさず近くに駆け寄る。

「りお、ちょっとこっち来て。」

 智也はにっこりと微笑みながら、コーヒーカップを軽く持ち直し、りおに向かって言った。

「コツを教えてあげるよ。まず、運ぶ前にこうやってカップを持つ位置を少し変えてみて。」

 智也は、りおが持っていたコーヒーカップの持ち方を示しながら、慎重に動かして見せる。

「カップをしっかりと握ることも大事だけど、手首に力を入れすぎないことがポイントだ。自然に持つと、安定して運べるから。」

 りおは真剣にその説明を聞き、次に智也が運んで見せる姿を目で追う。智也の動きがスムーズで、確かにその通りだと納得できた。

(こんな簡単なことが、意外と難しいんだな……)

 りおは自分の不器用さに少しだけ笑みを浮かべながらも、智也のアドバイスを実践してみる。 慎重にカップを持ち、少しずつ歩き始める。すると、意外にも、スムーズにコーヒーを運べた。

「おお、上手くいったじゃん。いい感じだな。」
「ありがとう、智也くん。」

 智也の言葉に、りおはほっと息をつきながら笑顔を浮かべる。智也が教えてくれたおかげで、少しだけ自信が持てた。
 智也もまた、嬉しそうに頷きながら言った。

「うん、慣れてくればもっと上手くなるさ。でも、りおは元々しっかりしてるから、すぐに覚えるよ。」

 その言葉に、りおは心の中でちょっとだけ嬉しく感じる。 智也との関係が少しずつ深まっていくのを感じ、こうして共に働けることが少しだけ特別に思えるようになった。

 智也は、最初はりおに慣れることに少し時間がかかったが、今ではもう普通に接することができている。 その成長をりおは感じていて、智也の温かさがありがたく思えた。 もともと女性と接するのに慣れていなかった智也が、こんなにも自然に話しかけてくれるようになったことに、りおは少しだけ感動していた。

(智也も、少しずつ変わってきたんだな…)

 りおはそのことに気づき、少しだけ胸が温かくなるのを感じた。 お互いに成長して、少しずつ理解し合えるようになってきたんだと、静かに実感していた。


2.高度な練習問題

 りおは元気を取り戻し、学校に復帰していた。 6月の定期試験こそ逃したものの、男に戻るチャンスは年に4回もある。 それに、手に入れた友情をあと3ヶ月も楽しめるのだ。それはそれで、悪くない。

 放課後の教室。
 ひよりが、にこにこと何かのプリントを差し出した。

「これ、先生からもらってきた!インテリジェンスコース用の小テストだって。練習になるかもって!」

 好奇心に駆られ、りおと乃々香も顔を寄せる。問題は、教科書に載っているものとは明らかに違った。

「……三角比……? なんか、難しくない……?」

 乃々香がプリントをめくりながら、眉をひそめる。りおもざっと目を通して、思わずため息をついた。

(これ、今までやったのと比べものにならない……)

 とはいえ、逃げるわけにはいかない。3人で机を囲み、それぞれ問題に取りかかった。


 時計の針が何周も回った後、先に答えを出したのは、ひよりだった。

「えっと、たぶん……105度と、345度かな?」

 不安げに答えを見せると、答え合わせ用のプリントにもぴたりと一致していた。

「すごい、ひより!」 「えらい……!」

 乃々香とりおが拍手を送る。しかし内心、りおは焦っていた。

(時間はかかったけど、ちゃんと正解してる……。ひより、いつの間にこんなに……?)

 その後、ひよりがゆっくりと解き方を説明してくれた。りおと乃々香は必死にメモを取りながら耳を傾ける。

ポイント1:式をまとめる
ポイント2:式を簡単にする

 ここまでは、りおもなんとかついていけた。 ひよりの丁寧な説明のおかげで、何となく感覚は掴めた。
しかし――

ポイント3:サインの値から角度を求める
ポイント4:範囲に合うように解を選ぶ

 乃々香は、ひよりの説明を聞きながら、問題にじっと向き合っていた。 そして数分後、ペンを止め、小さくつぶやく。

「……あ、わかったかも。」

 自分のノートを見返し、慎重に式を追う。やがて、自信ありげに顔を上げた。

「つまり、サインの値が同じになるのは、第一象限と第二象限だから……答えはこれでいいんだよね?」

 ひよりがにっこりとうなずくと、乃々香もぱっと表情を輝かせた。

「やった……! ちゃんと自分で解けた!」

 りおだけは、頭が真っ白になった。

(なんでここで二つ答えが出るんだ? どうしてこの角度になる?)

 必死に考えるが、もやがかかったように理解できない。 何度もひよりと乃々香に解説してもらい、ようやく答えは合わせられた。 だが、納得はできていなかった。

「……うん、わかった。」

 りおはそう言って笑った。 2人の前では、情けないところを見せたくなかった。

 心の奥底で、ぐらりと何かが揺れた。

(いつの間に……乃々香も、ひよりも、こんなに先に行ってしまった……?)

 かつては、どこかで「自分の方ができる」と思っていた。 そんな驕りが、今では足元を崩していた。

 りおは、ほんの少し寂しさを抱えながら、笑顔を作った。


3.進路指導

 りおは、進路指導に臨んでいた。

 教師は静かに資料を見つめながら、りおに向き合った。部屋の空気が少しだけ重く感じられる。

「りおさん、大学進学を希望しているんですね。」

 教師は穏やかに話を始めた。

「ただ、現状では、科目選択が少し進学には向いていないかもしれません。 特に、理系の科目が不足しているため、進学するなら文系科目に絞った、受験科目が少なく済む短期大学をお勧めします。」

 りおは教師の言葉に一瞬言葉を失った。自分が目指していた進路が、こんな形で制限されるとは思っていなかったからだ。

「実務的なスキルを学ぶことができるので、短期大学であれば、仕事に直結する内容が多いです。」
 教師は続けた。
「今の段階で無理に大学進学を目指しても、実際に進学できるかどうか不安ですし、むしろ実務スキルを身につけるほうが、あなたの将来には有益だと思いますよ。」

 りおはその言葉に反論しようと口を開きかけたが、何も言えなかった。 実際、今の自分の進路が本当に大学に行けるかどうか、自信が持てなかった。 ひよりはもちろんのこと、そもそも大学受験を目指していない乃々香にさえ、置いて行かれつつある。
 だから、教師の言葉が痛いほど胸に突き刺さる。

「でも、俺は…」
 りおは少し震える声で言った。
「俺は、もっと勉強して、大学に行きたかったんです。」

 教師は優しく微笑んだ。

「わかります。でも、現実的に見て、今の状況で大学進学を目指すより、短期大学でスキルを積んだ方が確実な道かもしれません。焦らずに、まずは一歩踏み出してみてください。」

 りおは黙って教師の言葉を聞いていた。心の中では、どうしても納得できなかったが、現実を突きつけられていることを否応なく感じていた。 自分が選んだ科目が、こうも自分の未来に影響を与えるなんて思ってもいなかった。

「わかりました…」
 りおはようやく言葉を絞り出した。
「でも、まだちょっと信じられないです。どうしても、大学に行きたくて…。」

 教師はその言葉を受け、優しく頷いた。

「君が本当にやりたいことを考えてみてください。それが、今後の進路選択に大きな影響を与えるはずです。焦らず、ゆっくり考えてくださいね。」

 りおはその言葉に頷くことしかできなかった。胸の中で、大学に行く夢が少しずつ遠くなっていくのを感じながら。

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